たんけいこうしがん ずいけいもんじけん
無傷で大きい良材は大変稀少である。 小さく分割せず、材の大きさをそのまま活かし作硯した。 筆文字文化が薄れた昨今では大硯は一部の専門揮毫者、コレクターのアイテムとなっている。 大きい硯は材の少なさ、使用者、所有者の減少を要因として生活から遠ざかっている現状だ。 しかしながら大硯には小さい硯では味わえない旨味がある。 それは決して大振りゆえの雑味ではない。むしろ真逆にある。 広大な墨堂は墨を磨る時間を優雅なひとときへ変える。 墨だけではない。 手を這わせば掌を柔らかく包み込み、抱いたその重みは材が何たるかを明確に実感させる。 これら居心地の良さは硯の包容力の大きさに直結している。 私は大きな硯は住まいに似ていると思っている。
撮影:河内彩
無傷で大きい良材は大変稀少である。
小さく分割せず、材の大きさをそのまま活かし作硯した。
筆文字文化が薄れた昨今では大硯は一部の専門揮毫者、
コレクターのアイテムとなっている。
大きい硯は材の少なさ、使用者、所有者の減少を要因として生活から遠ざかっている現状だ。
しかしながら大硯には小さい硯では味わえない旨味がある。
それは決して大振りゆえの雑味ではない。むしろ真逆にある。
広大な墨堂は墨を磨る時間を優雅なひとときへ変える。
墨だけではない。
手を這わせば掌を柔らかく包み込み、抱いたその重みは材が何たるかを明確に実感させる。
これら居心地の良さは硯の包容力の大きさに直結している。
私は大きな硯は住まいに似ていると思っている。