端渓老坑雲紋天然硯板

端渓老坑雲紋天然硯板

たんけいろうこう うんもんてんねんけんばん

この石とは20代後半に上海で出会った。
上海租界後、人・物の出入りが活発なこの街では沢山の出会いがある。
広東省から石を販売しに来ていた老年の男性から買い求めた。
中国に渡る度、彼から石の話を教えてもらうのが楽しみだった。
「こういう老坑は清朝期の雲が彫られた硯板が似合う」
彼は老坑の商いを専門にしていて、
扱う石に対して向くであろう硯式への考えも持っていた。
数年後、久しぶりに会った彼は分厚いコートに首を埋めて紅双喜(中国の煙草)を燻らせながらこう言った。
「あれは彫ったかい?」
まだ手を付けていないと伝えたところ、
彫ったら見せてくれと煙の向こうから笑顔を返された。

これがきっかけとなって帰国後に早速着手した。
清朝期雲紋刻硯板。彼の話していた硯の姿を目指した。
刀を進めるうちに鮮やかな石景色が広がった。
老坑はヒビが多くその部分に沿って彫刻を施すケースが多いのだが、
まるでそれらしき気配のない、石のままで勝負できる素材であった。
なるほどこれは硯板向きだと頷いた。
雲紋から繋げて細い覆輪を全面に施して石景色の額縁とした。
雲はあえて少なめにした。
良い材に手工を施す場合は自己主張に走らず、材に目を向けた手段がよい。
結果施されてできた造形は視覚的効果、演出だけではなくて、
硯の長い歴史の流れに沿うものだと考える。

完成半年後、硯を携え渡航した。
彼が商いをしていたビルは新築されてショッピングセンターになっていた。
知人に行方を聞いてみたが故郷に帰ったとか、
商いはやめたとか、彼の消息に繋がる情報はなかった。
ぼくにとって上海はこういう街だ。

  • 硯材|端渓麻子坑
  • 様式|硯板
  • サイズ|
    113×68×16mm
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この硯について

撮影:河内彩