宮城県石巻市雄勝町は
日本が誇る硯の産地である。

2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
ほどなく大津波が雄勝の町を襲った。
親しくさせて頂いている職人さんの
安否が分かったのは10日後だった。

3月下旬、彼に会うため仙台へ向かった。
「幸い命は残ったから何とかなります。
これからです」という言葉は
僕には想像もできない
経験の中から放たれていた。

5月、雄勝から仙台へ転居された
彼のもとへ、硯の製作道具一式を
整えお送りした。
あの日の「これから」の一助に
なれることを願った。

現在。
震災復興は進み、
職人さんも雄勝で硯が作れている。
津波に備えた堤防、
道路の整備も行われている。

去年、2019年の夏の頃、
彼から一本の電話をいただいた。
復興計画の一部で道路を
新しく作るにあたり、
雄勝硯の古脈、御留山を取り壊すことに
なったという内容だった。

そこで彼が言われた
「取り壊す前に何かに役立てませんか」
といった話を受け、
僕は御留山と向き合ってみることにした。

御留山は伊達政宗公愛用の硯の材を
産出した名脈であった。
雄勝硯のこれまでを作ってきた硯の山へ、
硯として最後の冥利を
与えられないかを考えた。
結果、採石はせず、
山に直接硯を作る構想にたどり着いた。
製作意図は御留山とその歴史、
関わってこられた多くの方々への敬意、
一点であった。
製作当日は彼をはじめ
雄勝の若き職人さんも参じてくれた。

山の硯には願いを持って三日月の墨池を刻した。

伊達政宗公の兜前立ての三日月は、
消えゆく途中の三日月ではない。
これから満ちる意味合いを持つ。

あの日の彼の言葉にある「これから」。
この山硯製作と記録が、
その一助になることができたならば
一人の硯の者として冥利に尽きる思いである。

【硯製作】青柳貴史
【写真・映像】川滝悟司【揮毫】 緒形幹太
【サイト制作・演出】藤田圭(Kei’s Factory)