たんけいこうしがん ゆうがんてんねんけんばん
美術工芸品としての役割が硯にはある。 するとこの硯は造形的に不完全であると思う。 手工を一定以下に留めると、硯ではなく、石の範疇から抜け出ない。 墨が磨れる機能は付帯しているが極めて「石寄りの硯」であろう。 2000年続く硯の造形史ではこういった解釈であるのは間違いない。 しかしながら硯に美術工芸品としての一面もあるのならばとある時代に新しい硯式が確立しても良いとも思う。 佳材の「佳」の活かし方もまた時代に即した新訳があっても良い。 私の原点はもちろん硯の伝統造形から発しているが、素材への感情は自分の手の中で育った。 採石行の旅の中、自然の中で育まれた。 硯はやはり石なのだ。 本硯は採石地の山から見た月の景色を硯に導くことを考えた。 石紋である「眼」を月に見立て、側面にかけて自然の情景を活かすよう肌を少しずつ削いで製硯した。 手の中で端渓の地を感じていただきたい。
撮影:河内彩
美術工芸品としての役割が硯にはある。
するとこの硯は造形的に不完全であると思う。
手工を一定以下に留めると、
硯ではなく、石の範疇から抜け出ない。
墨が磨れる機能は付帯しているが極めて「石寄りの硯」であろう。
2000年続く硯の造形史ではこういった解釈であるのは間違いない。
しかしながら硯に美術工芸品としての一面もあるのならば
とある時代に新しい硯式が確立しても良いとも思う。
佳材の「佳」の活かし方もまた時代に即した新訳があっても良い。
私の原点はもちろん硯の伝統造形から発しているが、
素材への感情は自分の手の中で育った。
採石行の旅の中、自然の中で育まれた。
硯はやはり石なのだ。
本硯は採石地の山から見た月の景色を硯に導くことを考えた。
石紋である「眼」を月に見立て、
側面にかけて自然の情景を活かすよう肌を少しずつ削いで製硯した。
手の中で端渓の地を感じていただきたい。