硯がぼくの手元で迎える「完成」は一時的な造形の話に過ぎません。
山から産み落ち石となり、
石は硯へ転成し、
主人に出会い旅に出ます。
時を超え主を越え、未完の旅を続けていくのです。
在り難くも作硯に携わり続けることができた25年間。
旅支度を終えた硯たちから抜粋し、毎週一面ずつその姿を此処に記録してまいります。
而今。
これは硯の旅のプロローグ。
最後までお付き合いいただけましたら幸甚に存じます。
はじめに
2020年7月 製硯師
- 而今(にこん)とは
- 而今とは 「今、その瞬間」を指す禅語。ただ、時間的な意味だけを表した言葉ではなく、その瞬間に在る心の様を含みます。
04
端渓麻子坑秋葉硯
たんけいましこうしゅうようけん
硯にもブームがある。
作り手の立場から考えてみると流行の構図とは、
社会が硯に求めた内容と、製作側の提案が重なった部分に生まれるように思う。
作り手と使い手の掛け合いで磨きだされたデザインではないだろうか。
この硯では日本が江戸時代だった頃に中国で広く流行した硯の一例の再現を試みた。
秋葉硯という硯式は主に秋海棠の蕾と葉を刻したものをいう。
秋海棠は多くの蕾をつけることから、
子孫繁栄、五穀豊穣を願った吉祥図案である。
本硯は造形的な再現だけを狙ったのではなく、
根本的な再現製作として取り組んだ。
現在は採掘されていない当時の麻子坑石が必要だったため、
既存の古硯(当時作られた硯)を分解し材料に戻し製硯した。
ただ、この製硯には答えの見つからない点があった。
当時の硯工の絶妙な仕事の辞め時である。
それは量産硯に施せる精一杯の手数の結果だったのか、
はたまた当時の硯工が持ち合わせた製硯イズムだったのか。
どちらにせよ成長を楽しめる姿でまとまっているように感じる。
使い手が育てる余地は残したのか、残ったのか。
今でも正解が見つからない。
バックナンバー
01 歙州眉子紋天然硯
02 端渓老坑天然日月硯
03 歙州眉子紋日月硯
04 端渓麻子坑秋葉硯
05 端渓老坑雲紋天然硯板
06 歙州眉子紋随形淌池硯
07 虫喰い木蓮
08 隕石NWA869硯
09 端渓蓮様硯
10 歙州波濤紋硯板
11 端渓坑仔岩随形門字硯
12 端渓坑仔岩有眼天然硯板
13 端渓老坑無花果硯
14 金硯
次回の更新は、8月18日(火)の予定です。
動画
「製硯師」
硯に山を。山に硯を。
「ひたすらに、磨る」
而今。硯は全力でこうである。
プロフィール
青柳派四代目製硯師 青柳貴史
1979年2月8日 東京都浅草生まれ。
浅草で80年続く和漢文房四宝「寶研堂」四代目。
16歳より祖父・青柳保男、父・青柳彰男に作硯を師事。日本、中国各地の石材を用いて、各時代に対応した硯式(硯の製作様式)の硯を製作。さらに、修理・改刻・文化財の復元・復刻製作に従事している。20代より中国大陸の作硯家との交流を経て伝統的硯式の製法研究、現地石材調査を続けている。技術の継承だけでなく、二千年続く硯芸術の熟成を目指して新たな硯式の提案を自身の作品を通じて発表している。
一方、地球外の石(鉱物)を用いた硯製作など、硯に対して未知数の素材開拓も続けている。社会活動として学校などでの講演を通し、日常生活における毛筆文化の復活に注力。
【活動】
- 大東文化大学文学部書道学科非常勤講師(2016年~)
- 「夏目漱石」遺品の硯を修復 (2014年)
- 「夏目漱石」愛用硯を復刻製作 (2017年)
- 日本で初となる北海道での硯材採石、硯製作に成功 (2018年)
- 世界初、月の石を硯化(2019年)
- アウトドアブランド・モンベルと共同開発した「野筆セット」を発売(2019年)
- 山に直に硯を作る「山硯」を製作(2020年)
- 在宅美術館開設(2020年)
【展覧会】
- 個展「青柳派の硯展」(2018年2月20日~3月5日)
- 個展「~日々~ 製硯師青柳貴史の硯展」(2019年11月17日~24日)
- 個展「~日々~ 青柳貴史の硯展」(在宅美術館2020年5月21日~7月21日)
- 個展「~而今~ 青柳貴史の硯展」(在宅美術館2020年7月21日から)
【著書】
- 「製硯師」 (天来書院 / 2018年刊)
- 「硯の中の地球を歩く」 (左右社 / 2018年刊)
- 「山硯~日本の硯に再会す~」(SUPER EDITION/2020年刊)
【主な出演歴】
- TBS「情熱大陸」
- NHK「美の壺」
- TBS「クレイジージャーニー」
【主催】宝研堂 【演出】藤田圭(Kei’s Factory)
【撮影】河内彩 【映像】川滝悟司
【協力】ノースプロダクション
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